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岩登り講習 インドア編
鈴木 辰之輔
山行日 2018年10月10日、10月24日
メンバー 1回目(10日): (講師)小芝、内田、西村、渡辺(靖)
千葉(朋)、清水、石毛、鈴木(辰)
2回目(24日): (講師)小芝、内田、西村、宮本、渡辺(靖)
竹中、千葉(快)、坂田、野畑、石毛、碓井、鈴木(辰)

 僕は今年の10月、三峰山岳会に入会しました。イワナ釣りがしたくて、最終的には尺イワナが入れ喰いとなるイワナの楽園に辿り着くため、やはり「技術」が必要だと悟り、きわめてレベルが高いと思っていた(る)三峰山岳会の門を叩きました。そんな僕の背中を押したのは、やはり、丸川峠で出会った千明先輩の熱い演歌だけではなく、千明先輩の口から紡がれた三峰山岳会に対する熱い想いでした。(もちろん、僕もおとななので、イワナかあちゃんのおっきくなったおなかを割くのはごめんです)。
 岩登りは殆ど興味がなかったけれども、やはり、沢技術向上のためには岩登り技術の習得が欠かせないと漸く悟った僕は、辛い日々が訪れることを覚悟しながら、岩トレエントリーの決意を固めました。そう、この時点で、辛い思いをすることはわかっていたのです。
 インドアクライミングの場所に指定された曙橋ベータクライミングジムへ定刻通りに辿り着くと、僕は簡単に手続きを済ませ、ながいらせん階段をゆっくりと登り、更衣室で着替えて、恐るおそる、こんにちわす、と言いました。すると、小芝先輩や内田先輩が、おつかれさまといいました。この時は、辛い岩トレーニングが始まることが分かっていながら、おすまし顔をしていたのです。

 1回目の室内トレは、事前に配布してくださった資料に沿って、基礎的な登りの技術について、小芝先輩に丁寧にご指導いただきました。ホールドの名前や持ち方の種類、スタンスへの立ち方、正対やひねりでの登り方などです。カウンターバランスについても、説明してくださったように思いますが、僕はよく理解できませんでした。また、千葉(朋)先輩が、さりげなく僕のクライミング姿をスマートフォンで撮ってくださり、おもむろにその場で見せてくださいました。僕は自分のクライミング姿以前に、自分の胴回りの太さに唖然としてしまい、クライミング上達のために撮ってくれたはずなのに、自分のクライミング姿を見るどころではありませんでした。この日、僕が学んだことは、①腕を曲げた状態を続けすぎて体力を消耗しないこと、②壁面に対し足は基本的に垂直方向にキープするということ、そして、③自分がデブであるということでした(それも、かなりの)。後日、近所の街ジムでこのことを意識してボルダリングをしたら、前よりも少しだけさまになっている気がし、体力も長続きしたような気がしたので嬉しかったです。また、今現在、この時より体重が4キログラムほど落ちているので、今ではあの時の動画に感謝しています。(胴回りもあの時より、すこしは細くなってるんじゃないかな)。
 2回目の室内トレは、宮本先輩のスパルタ教育でした。そうです、あの古代ギリシヤの都市国家スパルタのスパルタです。恐怖のホールド名前当てクイズから始まり、僕がガバと叫んだのも束の間、足の使い方が苦手だというリクエストに応じて、宮本先輩が臨機応変に人工壁を眺め、足でスタンスを捉えることを意識したトラバースの動きの練習を提案してくださいました。こう考えると、とても親切にご指導いただいたのだと、今になれば分かります(気のせいではないはず)。その後、とりあえず登ろうと言われ、前回登れなかった5.9のルートを登るも、途中からうまくいかず、右手が出せませんと叫びました。次の瞬間、じゃあ左手を出せとのご指導がジムに響き渡るのでした。最後はバランスの重要性を指導するため、宮本先輩がクライミングの三点支持をしながら残りの手でマットの上の僕とじゃんけんして勝ったら先に進めるという練習を始めました。齢35歳にして(もう、ほとんど36歳だったのだけれども)、ジムでの衆人環視のもと、じゃんけんをするのはなかなか恥ずかしいものでしたが、シビアな環境だけではなく、さりげない壁でも、落ちたら、一矢報いられるのが山であるということを理解するのは、これよりいくぶん先のことでした。その他にも、宮本先輩が僕の登れないルートを、ムーブが分かりやすいように大げさにアクションして下さり、それを動画で撮らせていただき、僕はその動画を見ながらクライミングに必要な動きを体に覚えさせ(ようとし)ました。まるでエデンの園を自由に歓喜しながら飛び回るオランウータンのような宮本先輩の動画を見て(それも何度も)、この日学んだことは、全身のバランスを意識した体重移動や、腕に負担をかけぬよう踝、膝、腰、肩の伸縮・クッションを活かした登りをすることです。しかし、一つ大きな問題があり、それらの伸縮で体を支えるのには、いささか僕はデブすぎるのでした(そうです、メリー・ゴー・ラウンドに乗るにはね)。
 そんな辛いインドア・トレーニングの末、得られたものがひとつだけありました。ゲレンデ訓練の際、以前一度だけ行ったことのある日和田で、その時に登れなかったカンテのルートを(取り付きはインチキしたものの)、完登(?)することが出来たのです(まあ、坂田先輩が三社祭の神輿の上に乗っかり舞い踊る人のように軽やかにあっという間に上がったルートではあったのですが)。ウェイトの差が顕著にあったにせよ、その時にビレイしてくださった千葉(朋)先輩にはいまも感謝しています(おっこって、ちばせんのことぶっとばさなくて、ほんとよかったなぁ)。
 ちょっぴりタフなトレーニングの想い出と、出来ないことが出来るようになった素晴らしさを噛み締めながら、ほんとうに噛みしめながら、僕は(自分がそうとうのデブであることをひととき忘れ)もう少しクライミングというものに正面から向き合ってみようと思うのでした。小さいころから頭でっかちで通っていた僕は、いつしか腹もでっかくなってしまいました。しかし、こうしたプロセスを経て、僕は、日本におけるクライミング人口(デブ部門)の末席に名を連ねることになるのでした。そして、その先に待つ大きな成果と喜びを知ることになるのは、この時よりも、もっとずうっーと先のことになることは、まだこの時、知らなかったのです。
 (目下の目標は、近所の街ジムで5級のボルダーをある程度さまになるかたちで登れるようになることです。それが実現出来たら、三峰クライミングチームの室内ロープクライミングトレに参加したいな)


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