山行日 2017年5月10日~5月23日、11月27日~12月13日
メンバー (L)佐藤(明)
新型コロナの影響で、会活動を休止していた2020年4月。岩つばめは予定通り出すのかな。それなら原稿不足にもなるだろうし、と思い数年前の旅行を思い出しながら紀行文にまとめてみました。長文失礼ですが、どなたかの参考にでもなれば幸いです。
漠然と憧れていた四国お遍路、1450㎞巡礼の旅。自分は特段の宗教心を持ち合わせている訳ではないが、単に長期でちょっぴりチャレンジブルな旅をしてみたいと思っていた。退職して半年、急にムクムクとその気持ちが入道雲のように湧き出したら、もう「行きたい」が止まらなくなってしまった。
四国八十八ヵ所霊場巡礼、いわゆるお遍路(おへんろ)は四国全土の概ね海岸沿いに点在する札所と云われる社寺を参拝することである。そのことで煩悩が消え、願いが叶うとのことだ。巡礼の方法は全くの自由で、車やバスなどの交通機関を使って毎年少しずつ回る人から、全て徒歩で一度に回る人まで様々である。ちなみに一度に通しで回るのであれば、マイカーであれば10日程度、もし全てを徒歩で回るのであれば50日程度かかると云われている。
自分としては全88か所を一度に回る「通し」で行いたかったため、日数的制限から自転車による方法を選択した。ちなみに歩きで踏破する人数は年間2,500人位いるらしい(うち外国人が300~400人)。一方、自転車遍路は年150人程度とのことだった(おへんろ交流サロン談)。
【5月10日】(東京発)
この日は門前仲町の勤務先で午後からのシフトが入っていた。そのため午前中に旅装備を自転車に積み込み勤務先へ。勤務終了後そのまま有明のフェリーふ頭へ向かい、午後7時半発の徳島行きフェリーに乗船した。東京から徳島へは陸路では行きにくいが、海路であれば直行便があり楽に行くことができる。
自転車は普段使いのマウンテンバイク。整備はブレーキシューやワイヤを交換しただけ。ハンドルに9Lのフロントバッグを、そしてリアのキャリアにはカッパや衣類用の25Lのサブザックをくくり付けるという装備とした。
【5月11日】(お遍路day 1、走行26㎞)
フェリーは翌日の午後1時過ぎに徳島港に接岸した。人気の太陽軒で甘辛の徳島ラーメンを食べてから1番札所となる霊山寺へと向かう。
お遍路の88寺それぞれには番号が付されており、1番寺は徳島市内にある。巡礼はこの1番寺から開始する人が多い。四国を時計回りに88番寺まで昇順に参拝する「順打ち」を自分は選択した。
まずはこの1番寺の門前の巡礼用品店で買い物だ。必須なのはご朱印を押していただく納経帳。それに加え、白衣(びゃくえ)、菅笠(すげがさ)、経本、納札やローソクなども購入したが、数珠は所有のものを持参した。
さあ、いよいよお参りである。1番寺霊山寺の山門前で一礼をして境内に入り、鐘楼で鐘を1回突く。次に手水で手と口を清め本堂前へ。設置されている燭台に持参の長さ5㎝ほどのローソクを差し、チャッカマンで点火。持参の線香3本を取り出し、火を付け香炉に刺す。
次に自分の住所氏名を書いた納札とお賽銭を納め、経本を取り出し、数珠を手にお経や真言などを唱えるのだ。経本のお経にはルビが振ってあるとはいえ、息継ぎ場所も分からず、つかえながら読み進む。特に真言はまさに呪術的な語句の羅列であり、ひらがなを追うだけだが、脈絡のない早口言葉を読ませられるような困難さがある。
本堂でのこの一連の儀式が終わったら、同じ境内にある弘法大師をお祀りする大師堂へ。ローソク着火から読経までの一連の儀式を同様に繰り返すのだ。そして納経所へ行き、納経帳にご朱印を頂戴するというプロセスとなる。自分はさらに白衣にもご朱印を押してもらったので1寺あたり500円を支払った(88寺の合計だと4万4,000円という計算)。
このプロセスを完結させるのには1寺あたり20分強かかる。
初日なのであまり頑張らず、3番寺までお参りし近くのゲストハウス泊とした。
なお、お遍路ルート上には安価な宿が多く点在する。このゲストハウスもそのようなお遍路さんを相手にした宿で、外国人を含め10名程度が宿泊していた。また善根宿(ぜんこんやど)といわれる無料簡易宿泊施設も少なからずあるようだが、自分は利用しなかった。
【5月12日】(お遍路day 2、走行68㎞)
朝6時過ぎに出発し4番寺へ。お寺は24時間お参り可能だが、納経所は朝7時からオープンである。早めにお参りを終わらせ納経所が開くのを待つ。そして窓口のオバサンとしばしの立ち話。お遍路の心得や注意などを教えて頂くが、参考にしてね、と頂いたのが「初めての歩き遍路」という小冊子。個人が無料で制作・配布しているものだが、基本情報があまねくまとめられており、とても有用なものだった。
また裏表紙には「丁度よい」という句が読まれていた。ほんの7行ほどの文章だが、あなたの頭も顔も家族も、今かかえている幸せも悲しみも今のあなたには丁度よい。それが運命なのであり、卑下することもない。全て仏様におまかせの現状是認が一番良いのだと書かれてある。変に比較したり気張ったりすることのない人生。これぞ自分の求めていた人生観だったと思わず手をたたいた。この句との出会いが、お遍路をしたことの最大の内面的収穫だったと今も確信している。
次のお寺に移動する強力な道案内はスマホのお遍路アプリ。寺を指定するとGoogle Map と連携してナビをしてくれる。おかげで道間違いはほぼ皆無だった。
一方、特に苦労したのは坂の存在だ。自転車にとっては強敵であり、しかも寺院は山の上にあるものだったのだ。お遍路2日目にして、なぜ自転車遍路者が少ないのか思い知るはめになった。それでもお遍路最大の難所といわれる12番焼山寺を夕方制覇し、神山温泉の民宿泊とした。
【5月13日】(お遍路day 3、走行69㎞)
雨の中をカッパで出発。道路が滑りそうで気が抜けない。16番寺の参拝から戻ると自転車の後輪がパンクしている。櫛の歯のような弱々しいプラスチック材がタイヤに刺さっている。どうも昨日の山岳地でのタイヤの摩耗が激しかったようだ。100均の瞬間修理剤で走れるようにし、通過した徳島市内の自転車屋でタイヤを交換してもらった。お遍路は登山とは違い、基本的には町場を移動する。補給やサポートを受けるのは容易なため、緊急用の装備などはあまり持参しなくても良いのがありがたい。その夜は、道の宿そわかのドミトリ泊。
宿では歩き遍路の人とも時々一緒になった。歩き遍路は年配オヤジが多い印象があるが、学生など若者も少なからずいる。また30~40代の女性も時々見かける。今回夕朝食テーブルを共にしたのは東海大病院のナースさん。飛行機で来て、3日ほど歩いて帰るという。山岳会でも活動しているらしく話がよく合った。
【5月14日】(お遍路day 4、走行109㎞)
21番太龍寺への登りはロープウエイを使えるので、ちゃっかりそのお世話になる。しかも自転車を無料で載せてくれるのだ。しかし参拝後の下山は、近道を選んだためデコボコの急坂となり、自転車を押してこわごわ下るはめになった。
やがて山岳地から解放され、美しい田園風景を進む。その後は四国の東南端、室戸岬に向かうようになる。延々と続く太平洋岸沿いの道は陽光があふれ本当に美しい。自転車速度だとわき見運転も危険が少なく、どっぷり四国の自然を感じた一日だった。ロッジ室戸岬泊。
【5月15日】(お遍路day 5、走行98㎞)
6:45出発。今日も快晴で海が美しい。室戸岬の灯台や海岸を観光し、24番最御崎寺をお参りする。大きなお寺で観光客も早い時間から多く集まっている。
四国の寺には仏具の三鈷杵(さんこしょ)や五鈷杵(ごこしょ)が奉納されている。関東以北ではほとんど見かけることのない密教法具であり、悟りを妨げるものを振り払う武器的な意味合いのものらしい。
その後28番寺まで参拝し、南国市のビジネスホテルに宿泊する。
【5月16日】(お遍路day 6、走行88㎞)
疲れが出てきているのか少し寝坊してしまい、7:45ホテル発。29番寺は酒断ち地蔵が有名だ。地蔵に手は合わせるものの、その願はかけない。
一寺参拝の度にローソクは2本、線香は6本使用する。少なくなってきたので、100均で購入。安くては仏様に申し訳ないかとも最初は考えたが、品質は良好で以後は100均のものにする。今日は36番寺まで参拝し、須崎市のビジネスホテル泊とする。
【5月17日】(お遍路day 7、走行72㎞)
今日も晴れ。8時前の出発となり37番寺を参拝。その後近くの歯医者へ。クラウンが外れてしまい、付け直してもらおうと訪問したのだ。お遍路装束のまま治療してもらったのだが、初診料なしでの支払いとなった。四国はお遍路さんへのお接待文化が浸透しており、他にもよくお茶を飲んでいけなどと声を掛けられることがあった。ありがたい。
四国に来たからには、日本最後の清流といわれる四万十川沿いを走り、風景を楽しみたいと思っていた。そのため次の寺をまっすぐ目指すのではなく、四万十川沿いに40㎞ほどの寄り道をすることにした。四万十川は大きく蛇行を繰り返すが、道はそれをショートカットするように作られている。また所々に沈下橋が見られ、そのうちの一つを渡ってみることにした。沈下橋とは増水時には沈んでしまうように設計された橋である。大きな特徴は欄干がないこと。自転車でふらふらしながら橋の上を走ると、川に落ちそうな気がして恐ろしい。その夜は予土線沿いに建つゲストハウス泊とした。
【5月18日】(お遍路day 8、走行50㎞)
今日はお寺巡りではなく川遊び日とした。四万十川の駅カヌー館で一日カヤックの体験を申し込んだのだ。午前中はカヤックの基本操作の講習、午後は岩間沈下橋までの8kmのツアーである。平日だったためか受講生は私一人。ガイドは東京出身で私と同じ町内の方と分かり親近感を持ってくれ、ツアーもとてもスムーズだった。その後、中村まで移動し民宿こばん泊。ここも親切で感じが良く、高知の印象がますます良くなった。
【5月19日】(お遍路day 9、走行130㎞)
さあお遍路に復帰だ。足摺岬は快晴で海が美しい。岬のすぐそばにある38番金剛福寺も豪華で多くの参拝者で混雑している。
昼食は土佐清水の食堂あしずり。ここはKG氏の親戚とのことで、彼経由で自分の訪問を前もって伝えてあったのだ。開店時刻に合わせて訪問し、おまかせで出してもらう。
出てきた料理はサバの刺身。身がぷりぷりだ。ウツボの刺身と皿焼きも素晴らしい。
出がけにおみやげにと、焼きサバの巻きずしを頂戴する。これはサバの脂がジワッと出て絶品。清水サバというのは高知のブランド魚として有名だったのですね。
その後海岸線を西に向かうが、竜串海岸の海は本当に澄んでいて美しい。その夜は宿毛市のホテル泊とした。
【5月20日】(お遍路day 10、走行130㎞)
今日も快晴で6:15出発。40番寺をお参りし、四国西海岸沿いの道を進む。昨日の足摺の青く澄んだ海も素晴らしかったが、島なみがやさしく広がる宇和海も美しい。小さな峠を越えるたびに、たおやかに島々を浮かべた海が朝日を浴びて輝く。登り坂は大変だったが、心いやされる走りの一日だった。宇和島を越え、宿は内子のホテルAZ。ここも安くてありがたい。
【5月21日】(お遍路day 11、走行92㎞)
今日から後半戦となる。44番寺は少し内陸部にあり、峠をいくつも越える。45番寺の岩屋寺は駐車場から15分の登山。岩窟のなかにお堂があり、さらにハシゴを登っての参拝となる。足の悪くなった人にはつらいお寺だ。
それ以降は平地のお寺が松山市に向けて続き、外人観光客でにぎわう道後温泉の51番寺を参拝して近くのドミトリ泊とする。またも観光モードとなり、有名な道後温泉本館の湯に入り地元のB級グルメのなべ焼きうどんを食する。
【5月22日】(お遍路day 12、走行96㎞)
6:15出発。連日快晴が続き、走りやすくありがたい。今治はじゃこ天という蒲鉾が有名と聞いていた。たまたま見つけたお店に入り紅白一つずつのじゃこ天を注文する。揚げたてでうまい。帰りがけ代金を払おうとすると、要らないというのだ。またしても四国のお接待文化に感激し、それに甘んじてお店を後にした。大岡蒲鉾店さん、ありがとう。
そしてお昼は今治のB級グルメで有名な白楽天の焼豚玉子飯。こちらもタレが良くご飯にしみ込みうまい。
61番香園寺は本堂が巨大な大聖堂ビルのようだ。しかし内部は博物館のような雰囲気で、香の匂いと静寂さが心地よい。
次の62番寺へは行かず、代わりにこの61番寺の駐車場に設けられたプレハブ小屋の礼拝所にお参りしてご朱印をいただく。その理由は62番寺が札所寺の業界団体である四国八十八ヵ所霊場会から脱退したためとのこと。どうも納経所の受付時間や納経料の一方的指定に反発したらしい(その後2019年12月に再加入した模様)。
63番寺まで参拝し、石鎚山温泉泊とする。
【5月23日】(お遍路day 13、走行94㎞)
60番横峰寺は四国の名峰、剣山の前衛峰にある。昨夜お世話になった旅館前からお寺への参拝バスが運行されているため、ちゃっかりそのお世話になることにする。朝7時、標高差650mの狭い林道をマイクロバスは30分かけて自分一人のために登ってくれた。深山幽谷にひっそりと佇む伽藍は清々しく、時おり響き渡る鳥の声もさわやかで心洗われるようだ。たっぷり時間をかけて雰囲気を堪能したのち帰りのバスに乗り込んだ。
美しい本堂の64番寺の鎮座する伊予西条から国道11号線を東進するのだが、新居浜付近からは大型トラックが増え、路肩もガタガタで恐ろしい。途中からは国道に並走する旧道を探しながらの走行となった。
66番雲辺寺へは参拝者用のロープウエイが架かっている。往復切符を購入しラクチン参拝を決め込んだ。
しかしここで私の習う、おはやしの師匠が急逝されたとの連絡が入る。どうしても葬儀に参列したいため、今回のお遍路旅行を取りやめ急きょ帰宅することにした。
観音寺でハイエースを借り、自転車を放り込んで徳島へ。ここで一泊し、翌朝発のフェリーで帰京した。
ということで「通し」でのお遍路88寺参拝は達成されず、66番寺までで持ち越しとなった。その後はなかなか時間が取れず延び延びになっていたが、晩秋となる11月末に2回目出発を決行した。
(1回目の自転車全走行距離 約1200km)
【2017年11月27日】(2回目出発)
5月に行ったお遍路1回目は全て宿泊施設に泊まったため、少しお金がかかってしまった。今回は車中泊をメインに、ついでに観光も楽しもうとクルマに自転車を積み込み、再び有明からオーシャン東九フェリーに乗り込んだ。
【11月29日】
徳島では下船せず、そのまま北九州の新門司港へ2日後の早朝に到着。その後は湯布院などの温泉巡りをしてから四国の佐田岬半島の三崎に渡り、前回中断した観音寺へと向かった。
【12月1日】(お遍路day 14、走行24㎞)
観音寺にある道の駅ことひきに車を止め、67番寺からお遍路再開。午後の出発だったため69番寺までを参拝し、この道の駅での車中泊とした。この公園内には寛永通宝の巨大な銭形砂絵があり圧巻だった。
【12月2日】(お遍路day 15、走行35㎞)
JR観音寺駅近くに車を駐車し自転車にまたがる。前述の歩き遍路小冊子の配布協力寺である70番寺にて、著者へお礼金を渡して欲しいと預ける。
香川県に入ってからは札所間が数kmと近い場合が多く、どんどんゴールに近くなっていく感じがうれしい。しかも毎日昼食は讃岐うどんだ。今日はぶっかけ肉うどんを食べ76番寺まで参拝。午後、多度津駅に自転車を置き、電車で観音寺に置いた車を取りに戻る。毎日1.5往復しながら尺取虫のように進むため効率が悪いのだが、車中泊メインで費用減を意図しているため仕方がない。
今宵は弘法大師、いわゆる空海の誕生寺である75番善通寺の宿坊泊とした。お遍路の菅笠などには「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれている。この意味は孤独な巡礼旅だが、常に弘法大師も一緒にいて守ってくれている、ということだそうだ。
善通寺境内は広大だ。道路をはさんで東院と西院とに分かれ、五重塔も立派なものだ。宿坊も鉄筋三階建てで客室も清潔であり、夕食の精進料理も豪華で割安感があった。また温泉付きというのもなかなかうれしい。
【12月3日】(お遍路day 16、走行24㎞)
朝6時からの朝勤行に参加する。住職の話は話題性とウイットに富み全く飽きさせない。その後に驚いたのは男女の僧侶7名による一糸乱れぬ読経。坊主の読経なんて退屈なものだという先入観で固まっていたのだが、このハーモニーが驚くほど美しいのだ。混声合唱団のコンサート会場さながらの美しい響きに心奪われ、思いもよらぬほどの感激に浸った朝のお勤めだった。
多度津駅にクルマを置き、自転車お遍路に出発。79番天皇寺は入口に山門ではなく三輪鳥居がかかる。境内には神社と寺とが同居し、神仏習合を残すちょっと不思議な札所だった。
その後80番寺まで回り、近くの国分駅から電車で多度津駅に戻りクルマを回収する。その後、少し先の高松市の道の駅、源平の里むれまで走り、ここで車中泊とする。ここは電車の駅まで近いのだ。
【12月4日】(お遍路day 17、走行60㎞)
朝食後5分ほど歩いて琴電志度線の房前駅へ。ここから2度電車を乗り換え、昨日自転車をデポした駅まで2時間。ローカル線は接続が悪く移動に時間がかかる。
山の上にある81番寺を参拝し、そのまま順を追い、85番八栗寺の山麓へ移動する。この寺へは参拝客用ケーブルカーで往復するのが一般的なのだ。自分もその機動力にお世話になりラクチン参拝。
その後雨の中を今朝の道の駅まで走り、再び車中泊の人となった。付近には三角形のおむすび山が多く、見ていて楽しい。ちょっと登ってみたい気もしていたが、結局先を急いだ。
【12月5日】(お遍路day 18、走行16㎞)
84番屋島寺は源平合戦で有名な屋島の頂上にある。ここへのアクセス道路は自転車通行不可なためクルマで訪問した。
その後昨夜の道の駅むれに戻りクルマを置き、自転車で87番寺まで参拝。今度は自転車をJR高徳線造田駅に残置し、電車でクルマを回収に行く。公共交通機関で毎日クルマを回収に戻るのは本当に非効率的で、今までの半分も進めない。ケチケチ作戦なのだが、あまり良くはなかったと反省する。しかし明日でゴールだと思うと気分は悪くない。その夜は道の駅ながおで車中泊。
【12月6日】(お遍路day 19、走行67㎞)
昨日自転車を置いた造田駅から自転車に乗り換えて出発。まずは昨夜泊まった道の駅の向かいの前山お遍路交流サロンを訪問だ。こちらでは歩きか自転車でのお遍路さんをサポートしており、自分も自転車で間もなく結願と申告したところ、証明書とバッジやDVDを頂戴した。お礼金を置き、最終の88番大窪寺へと向かう。
今日は晴れてはいるが寒い。到着した大窪寺の手水桶は凍結している。いつものように本堂と大師堂とを参拝し納経所へ。ご朱印を頂戴し、合わせて結願証も作成してもらう。
これで四国お遍路88寺巡礼完遂。感激したかと問われると、特にない。今まで淡々と札所を巡ったが、チャレンジ的な要素は低く、ああ旅行が終わったなという感じだった。
では自己の内面的成長があったかと聞かれると返事に窮する。が、唯一、小冊子で出会った「丁度よい」が努力嫌いの自分の価値観を認めてくれ、そんな生き方でもいいんだ、という自己肯定感を支えてくれたと思っている。
その後発願寺である1番霊山寺をお礼参りし、事故なく結願出来たことを報告のうえ2度目のご朱印を頂戴した。
午後、JR坂東駅から電車を2回乗り換え今朝の造田駅に戻り、クルマを回収後近くの道の駅泊とした。
これで自転車お遍路の19日間は終了し、GPSデータによると約1,450kmの走行だった。
【12月7日以降】(高野山参りへ)
徳島からフェリーで和歌山に渡り一泊。そして習わしに従い「高野山参り」を行う。弘法大師が眠る金剛峰寺奥ノ院をお参りして、結願の報告をし、いわゆる「満願」とするのだ。
訪れた高野山は雪降りだった。美しくも静寂な壇上伽藍は無人で、寒さの中ひっそりと祝福されるのがあなたには丁度いい、と弘法大師に告げられたのだと理解した。
その夜は高野山持明院の宿坊泊での満願ひとり祝い。ここでも素晴らしい精進料理が振舞われた。仏教の五戒のひとつに不飲酒戒がある。自分もそれに従い、この夕食では酒に代わり純米仕込みの般若湯を頂戴した。
その後は数日間奈良・明日香などをウロウロして帰宅した。2度のお遍路旅行とも一切の事故なく旅行できたのは、一緒にいてくれたお大師様のお加護だったのだろう。ありがたや。