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秋川養沢 - 初めてテンカラで釣った日
千葉 朋子

山行日 2018年8月25日
メンバー (L)千葉(朋)

いつもよりも水が多い  今朝は予定より寝坊したうえに朝から雨も降っていたし、あまり気持ちが乗っていなかったが、昨夜から準備はしてあったし、行ってみないと分からない、となぜか身体が動き竿を持って電車に乗った。後から思えば何かに突き動かされたのかも知れない。
 釣り場へ行ってみると雨が止んだ後で多少濁りがあったが、今朝放流したばかりで魚は豊富。ひとは少ない。渡されたバッジは9人目を示す9番だった。
 今日は途中まで道路を歩いた。橋の上から見下ろすだけでも沢の水が多いのが分かる。いつも歩いている岸が流れの底だ。沢登りよりはある。橋を渡ってすぐの民家の脇から沢へ下りた。
網のなかの魚  1投目が肝心。魚はすぐに気付く。瀬が速く泡立ってよく見えないからやりやすいかなと思ったが、やはり流れか速い。
 まず入れた。すぐ反応あり。手付かずだったのかも。魚が水の上に軽く出た。いける、と思い複数トライ。また出た。でもかからない。魚のあたりを感じた。
 ポイントを変えて細かく打ちながら釣上がる。流れが速くてポイントが少なく感じる。キャンプ場のところから岸に上がってテントを張っているひとの間をすり抜け、橋を渡り、養沢センターの前から下を見るとなかなかいい感じ。いつもならひとが2人はいるが、今日は貸し切り。しかも雨上がり。これはいる。しばらくポイントの見極めでうろうろして、そっと降りて川を渡り、足元が砂利のところから竿を振ると、ばしゃっとする。何回かトライしたらかかった。いつもより泳がせて、すぽーんと水面から抜いた。パタパタする。「わぁ、ごめん」と思いながら、そのまま岸に着地。パタパタッと軽い感じであんまり元気がないような印象。針は口に引っかかっていて飲み込んではいない。口をパクパクして苦しそう。魚を空気に触れさせ過ぎちゃいけない。アユ釣りで言われたことを思い出して背中からぶら提げていた網に魚を入れて水に浸けると少し落ち着いた。そっと網をあげるとパタパタする。目が合った。「ごめん、苦しくして」と思いながら、「あ、どうしよう」って思った。「ええと放す?いや食べる。でもまだ生きてる。え?どうする?放す?いや釣ったし。でもまだこの子、生きてる。でも食べるって決めてたし。でも仕留め方が分からない。石で頭をコツンとやると気絶するっていうけど。」美しいのにこれから仕留めるんだって思うと複雑、って澤野さんが言ってたことを思い出す。
 網に石を入れて流れないようにして水の中にしばらく入れてから写真を撮った。魚が水流と逆に向くとエラに水が入ると思って反対に戻し体を立ててあげた。やっていることが矛盾している。そういえば生き物をちゃんと殺したことはない気がする。「釣ったって報告しなきゃ」と携帯を取り出したが、足元で運命を待つ子が居てこれはないわ、今に向き合わないのはイヤだって思って携帯をしまった。
ここでかかった  私はその子を持ち帰ることにした。でも、どうしていいかわからなくて網を岸に上げた。その子は苦しそうに口を文字通りパクパクして口を大きく開けて固まった。あんぐり口を開けてしまった。魚は口をきゅっと閉めているものだから、その魚にしても開けたことのない口で、不可抗力で開いた口が暴力的で見るのが辛かった。恥ずかしい、と思った。見てはいけないものを見たと思った。魚は口を大きく開けたまま、その体をどんどん反らせ、固まってしまった。釣ったばかりのやわからい弾力のあるものではなくなった。「あー、私が、やったんだな」と無言で理解した。
 とにかくそのまま釣りを続けるわけにはいかないので、網の中に魚を入れたまま小屋に戻った。網の中が異様に重かった。「どうしよう、どうしよう」って思った。小屋で受付の年配の女性に、「釣ったんですけど、捌くのに流しを使っていいですか」と分かり切った質問をして、「あの、初めて釣ったんです」って付け加えると、幾分か驚きを演出してくれて「あら、すごいですね」って言ってくれたけど、私は喜びよりまだ感情がなくて、機械的に「捌いた後どうしたらいいでしょう」と聞いて、「塩かけてくださいね。そのあと冷蔵庫に入れておきましょうか」と言われるのに「そうします」と答えて流しに行った。
 捌き方は流しに置いてあるやり方を見たら結構簡単で、魚の身体の単純さを知った。とにかく腹はやわらかく割けば内蔵が入っていてその他は体の肉だ。血あいを取ればあとは空っぽ。魚のカラダのなかを水道できれいにながして指ですりすり洗ってあまりに普通に胸の骨を撫でていたので、その自分に驚いて手を止めた。これ、自分がやられていたら耐え難い屈辱的な状況で、気味が悪い。ちょっとやってることがおかしい。「気持ち悪い」というのはすごく想像力のいる感情だと思った。とにかく何も感じないまま、生き物でも食べ物でもない何かを切って洗った。当然のように無感情、無感動で自分の冷静さにがっかりした。腐らないように塩をしっかりまぶし、ビニール袋に入れて受付の年配の女性に冷蔵庫に入れてもらったら安心してすぐに忘れた。
胃袋からトンボが出てきた  時刻は17時50分で、18時20分が釣り場の終了時間だった。「あー、夕まずめのこんないい時間なのに。」って思って急いで釣り場に戻った。今朝最初に出たポイントに戻って一振りしたら出てそのままかかった。さっきより引きが強い。かかると絶対釣るしかなくなる。明快な反応だ。そのまま釣り上げて網に入れた。今回は、よしって手応えがあった。少しワクワクした気がする。岩の上に魚を上げたらそのままにして、すぐにもう何回か振ったけどもう出なかった。時間を見て終わりにした。
 2匹目も捌いた。白い胃がパンパンだったから取っておいて魚を塩で絞めた後、胃にそっとナイフを入れて開けたらトンボが出てきた。その他、たくさんの黒いもの。黒いのはたくさんの虫だった。既にかなり食べていたのに、まだ私の毛鉤を食べたようだ。今日は活性していたみたい。
 帰り道、ザックから生臭い臭いがして、釣ったものがやはり重く感じた。最後まで「なんとかしなきゃ、きれいにしなきゃ」と思った。殺した瞬間に自分にまとわりつく。所有物になる。何かを殺したひとはその死体のボリューム、そこにある塊に途方もない気持ちになるのだと思う。
 帰宅して魚は焼いて食べた。食べるというのはなんて便利な昇華の仕方だ。消化というのはほんとにきちんと「消す」ことだと気付いた。食べられるもの以外は殺したくない、捨てたくない、そう思った。
 友人のKさんは鮎を釣ってはすぐに売り、お金にしてしまうし、ひとに食べさせることもある。行き先があり需要があるから安心して毎日たくさん釣れるんだなと気付いた。
 命が自分の手元で翻弄されている時間が一番落ち着かなかった。

 あれから数年経って少しは釣れるようになった気がしていた頃に、このノートが出てきた。釣ったのは放流されたニジマスだった。あの時にしか感じ得なかった心の動きが新鮮で、今回、そのまま原稿にしてみた。

●トーマス・ブレークモア記念社団 養沢毛鉤専用釣場
 住所:東京都あきる野市養沢103-1
 料金:大人1日4,500円(持ち返り8匹まで)
 営業:3月~10月の午前6時~日没まで
 釣法:フライフィッシングかテンカラ
 ニジマス、ヤマメを放流。ブラウン、イワナも棲息している。
 使用した竿:シマノ天平テンカラNB LLS33


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