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三万年沢
播磨 忠

山行日 1969年6月1日
メンバー (L)鈴木、播磨

 6月にしてはまずまずの天気だった。上空には雲一つなく快晴であったが、遠く眺める目的の那須連山には雲がかかっていて、中腹より下の長い裾野だけが、朝の陽に輝いていた。
 いつものようにステーションビヴァークをしていた我々は、周りの騒がしさに目を覚した。丁度その時、駅前広場のバス停で臨時の大丸温泉行きの直通バスが、客を乗せているところだった。急いで身仕度を整えてバスに乗りこむと、間もなく出発した。バスが登るに従って風が出て来て、車窓から眺める木の枝が大きく揺れていた。そして大丸でバスを降りる頃には、北寄りの風が稜線を越して、一気にバス停のある広場目指して吹き抜けていた、あまりの寒さに急いで近くの物産店に飛び込んで、とりあえず朝食とする。
 朝食の後いよいよ三万年沢目指して出発、この沢の名称は朝日岳の所にある三万年前の噴火口跡より流出しているので、この名前がついたらしいのだが、毘沙門沢や下流で明礬沢と合流して北温泉の脇を流れている沢である。昨年鈴木達が来た時は、間違えて明礬沢へ入ってしまい、同行者に係としての責任をとらされて、多大の出費をさせられたとの事、今度はそのような事のないように慎重を期した。北温泉の手前の高台で先ず地図と案内書を拡げて良く検討してみた、まず北温泉の上の堰堤の先で沢は二分するのであるが、まっすぐに行くと昨年と同じになるので、我々は右へ入っている沢に入ることにする。この辺りはなかなか複雑で案内書通りに行くとかえって間違い易い、やはり五万分の一の地図の方が良いようだ。沢はかなり荒れていて左右の岩壁から崩壊した岩石で埋っており、そんな場所を通過する時は、また上から崩れてくるのではないかと急いで歩いた。暫く行くと周りが開けてゴーロ状の所が1時間ぐらい続いた。先刻吹いていた風も沢筋に入ったためかここまでは届かず、かえって朝の太陽に照らされて暑いぐらいだ。
 ゴーロに飽きた頃突然二俣に出た、恐らく右の沢が毘沙門沢で、左側の沢が目的の三万年沢に間違いないと思ったが、念のため沢を分けている真中の尾根に取りつき、しばらく登って確認してから左側の沢へ降りた。沢は先程と変らず平凡な容相をしめしていたが、やっと両岸が狭ばまって滝らしきものが現われた。これは難なく越してなおも行くと、小さな釜を持った小滝に出合う、両岸は赤味を帯びた脆い岩で、ボロボロで手がかりはなく、高捲く程の滝でもないので、釜に石を投げ込んで足場を作り、強引に乗越す、この沢は皆このような脆い岩で、滝も小さいし遡行の快適さはあまりない。ここから2、3の滝を高捲いたり、へつったりして小規模な雪渓を越して行くと、いよいよこの沢の名前の起源である三万年前の火口跡と言われている所へ入る。辺りの景色は、今までとは一変して、熔岩流で出来たような、赤黒い奇岩怪石が迫り、何か異様な風景を程している。歩きにくい岩がゴロゴロしている中をなおも登ると、いよいよ最後のツメで水流も細くなり、最後は藪漕ぎで待望の稜線に出た。
 稜線で真先に出迎えてくれた物は、思いもよらぬ北西風の強烈なパンチであった。まともに風に向かうと息もできず、おまけに風の冷たさは鼻水の流れを円滑にした。そんなわけで朝日岳の頂上は止めにして、早々に峰の茶屋への道をとる。道が稜線の東側を捲く時は、風も当らず初夏の陽に照らされて暑いくらいだが、一度鞍部などへ出ると強風が容赦なく吹きつけた。何でも峰の茶屋の近くでは風のため石が飛んできて、ハイカーに当たり怪我をしたという事で、全く季節外れの強風である。
 峰の茶屋から茶臼岳を捲いて、牛首から南月山、白笹山と越して、ザゼダソウが見られると鈴木が言うので、沼原へ降りる事にする。残念ながら目的のザゼンソウは盛りを過ぎていて、花をつけているものは一、二本のみでしたが、そこから見た大峠から三倉山へと続くスカイラインはなかなか印象的でした。板室温泉へ下る道は疲れた足には、大変長く感じましたが、周りの景色などを見ながら、ゆっくりと降りました。今日は風が大分強かったのですが、天気は上々で遠望が利いて大変面白い山行でした。


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