山行日 1971年2月14日~15日
メンバー 長久、宮坂、播磨、菅谷、鈴木、三橋、小島
2月14日(晴)
昨日の夜、菅谷さん、三橋さんの3名で、ここ小林館に到着し、今朝、播磨、宮坂、鈴木の3名の方々が到着、合計6名となる。先に来ていた長久さんは、昨日の夕方我々が来る直前に、帰った為、逢うことが出来なかった。
朝のうちそれほど良い天気ではなかったが、根子岳に向かう。モンちゃんは足が不安だからと言って、根子の登りには参加していない。今回で何回目であろうか。何回来てもこの雪の道は長い。小林館を出てすぐに、天気は快晴無風となり、雪に足をとられながら歩く我々は、2月だというのに汗びっしょりである。道は登りになり樹林帯に入るや、雪が深くなりラッセルが厳しくなったので、スキーをつけて登る。いつもよりもピッチが遅い。後ろを振り返ると、北アルプスの山々が、きれいにけんを競っている。雪質は、スキーには一番難しい、表面が薄くクラストしている難雪である。樹林帯を抜けた辺りで、スキーを脱ぎ担いで登る。ソールをつけている宮坂さんが羨ましい。宿を出てから約6時間後、やっと頂上に到着した。頂上には、別のコースを登って来たパーティーが居たが、我々が着くと同時に彼らは、降り出した。
頂上でしばらく休んだ後、スキーをつけ滑降にかかる。登る時に想像していた通りの難雪である、思うようにならない。上越の深い新雪で充分滑れるようになったので、かなりの自信をもって今回来たのだが、その自信は、完全にくじかれた。人間自信をなくすと情ない。とにかく転倒するのだけは、まぬがれたが全く自分のスキーではなかった。皆様方も悪戦苦斗をしている様子であった。これでまた一つスキーを、止められない理由が出来てしまった。表面がクラスト薄いモナカの皮のようになった雪を滑る技術、モナカの皮を破ると中はさらさらした深雪である。スキーは、完全に雪にとられてしまう、このような雪でも自由に滑るにはどうすれば良いのか...
なんてえ事を考えながら敗者の惨めさいっぱいの気持で降りた。下のゲレンデに着いたのは、夕方の3時頃だった。播磨、菅谷さんの両名は帰った。我々は、再びゲレンデにて滑る、ゲレンデの滑りやすい事...。夕暮にデンとかまえる根子岳の姿がしゃくにさわる。
2月15日(雪)
昨日とは、うって変った吹雪の天気である。ダボスのゲレンデ、ショナイダーのゲレンデのリフトも吹雪のため運転中止である。午後から風もやや弱くなったので、裏太郎のゲレンデにて滑る。ギャップの多いこの斜面は、一滑りすると、かなり膝がくたびれる。だけんども、菅平のゲレンデの中では、ここが一番面白い。もっと滑りたかったが今日帰らなくては、いけないので、3時頃きり上げて帰京する。