山行日 1971年7月23日~27日
メンバー 野田、鈴木
7月23日
富士見駅前より入笠山までバスに乗る。朝食を済ませてから釜無山山頂下まで続く広い道路を歩き出す。途中、首切清水にて水を補給。鈴木君7L、私4L。駒六合石室まで水場がないことを思えば少しも苦にならない。1時間半で釜無山に着く。三角点は笹の平原の中にあった。この先に道はない。雨がかなり強く降り出し、雨具を着けて藪の中に突入した。猛烈な藪である。10m歩くと下着まで濡れてしまった。幸い道しるべの赤ペンキの印は豊富に付いていた。小さな上下を繰り返し白岩岳に近づくほど藪は酷くなる。名人鈴木君も悲鳴を上げた。疲労を感じていたが寒くて休めない。藪が切れて痛いアザミ漕ぎになる。登る元気もなくて座り込んでしまった。目前の白岩岳へはツェルトを張り、大休止後に登った。山頂のお花畑は車ユリ、キンバイ、フウロウ等美しい高山植物の大群落でした。
7月24日
雨の藪漕ぎは昨日で充分。今日は三峰祭りである。昼間から酒を飲んで祝う。夕方雨が止んだ。お花畑を散歩する。
7月25日
今日も展望は良くない。痛いアザミ漕ぎで一日が始まる。アザガ原を通り抜けると、意外なほど道ははっきりしていた。笹が少ないせいであろうか。2100mP、2080mP付近で2、3度道を探した程度で横岳に着くことができた。横岳峠に下って大休止、下ってきた登山者に鋸岳の状態を聞く。相当悪いという。散々脅かされ、すっかり弱気になる。三角点ピークへの登りはきつい。高度差700mを登らなくてはならない。汗を流してやっと登り切った三角点ピークから第一高点を見る。空に突き出した岩峰を見ただけで全身の汗が引いてしまった。角兵衛沢のコルまで下り第一高点の登りになる道はしっかりしていて心配するほどのこともなく頂上に着く。痩せ尾根を20分上下すると尾根が10mほど垂直に切れ落ちて鞍部に続いていた。悪場の始まりである。小ギャップ、捲道はない。ザイルは持ってこなかった。降りないわけにもいかないので顔を白くさせて降りた。山梨県側を捲いて月穴に出る。トンネルを潜り抜けて月穴ルンゼを下る。落石は多いが技術的な困難はなかった。300m程下って滝上の横断バンドを通り大ギャップ側の端をトラバース森林帯に入った。悪場を終えた安心感か、初日からの膝の痛みを思い出させた。足を引きずりながら第二高点に登った。中川乗越を過ぎ三頭までは酷い倒木帯でした。疲れた。やっとの思いで六合石室に着いた。石室の中にツェルトを張る。鈴木君は30分かけて水汲みに行った。何と強い山男であろうか。
7月26日
石室の中に張ったツェルトがビッショリになるほど激しい横殴りの雨でした。風邪を引き39度の熱。食事をせずに一日中寝ていた。鈴木君にアルコール欠乏症だと言われた。
7月27日
朝4時にツェルトを出る。雲一つない快晴嬉しくなった。私達は食事を済ませ5時に出発する。ミエル、ミエル日本中の山が全部見えるよう。写真機の出番がやっときた。駒の頂上で2時間ほど山を見たり写真を撮ったりして遊ぶ。鈴木君だけ摩利支天を往復する。黒戸尾根を下って横手からバスに乗った。
悪天候が続いたため、早川尾根へ行けなかったのが残念でしたが、薮、岩、普通の縦走路と変化に富んだ山行ができたのも鈴木君のおかげと感謝しております。