山行日 1973年11月11日
メンバー 宮坂、小島、野田、長崎、安田、今村、多部田
集合場所が分からず上野のホームをうろうろしていると、我会の方ではないかと思われるT君に会いました。何をしてるのかと聞くと彼も私と同様でした。時間も迫りしかたなしに発車ホームへ行って電車の中を捜してみたものの、同行する皆さんのお顔もあまり知らず、彼と今日は大雨が降ったので中止にでもなったかもしれない、などと半分冗談めいていると、向こうの方に細身の背の高い人がいるではありませんか。駆けよってみると案の定、今村さんでした。そんなこんなで皆さんにやっと対面することができ、ひと足先に汗をかいてしまい、皆さんに御迷惑をおかけしてしまいました。
純行列車に揺られいいかげん嫌になった頃、水上に着きました。昨日の雨が嘘のように夜空一面、星の花が咲き、私たち一行を慰めたに違いありません。タクシーで藤原ダムまで行き、近くの駐車場にてツェル卜を張り小休止しました。早朝、寒さと、玉石のベッドにて眠りから覚め、6時半、一杯のお茶にて体を温め、複雑な心境で藤原ダムに注ぐ大倉沢に一歩を始めました。1時間程歩くと踏跡程度としか思われなくなり、幾度か進路を取り違えながら、朝日が山肌を指し照らす頃造林小屋に掛りました。この辺を過ぎたあたりから、私にはただ沢沿いを、ひたすら無の心境で動いているようでもあり、たえず刺のある木と、夢の木に漕がれていたようでした。私にとって初めての藪漕ぎ、それは植物の茂った砂漠のようなものでした。沢の源頭近くになると高檜山の鞍部が目前に見え、踏跡のような物もわからず、我々を覆い隠すかのように、ひょろっとした熊笹が密生しており、どこから鞍部に取り付いてよいのかわからずにいると今村さんがするする、するする、と木によじ登り始め唖然とと見入ってしまい、人間ができてるなどと今までの気張りが、いっぺんに緩んでしまいました。鞍部に取りつく頃には、先程昇ってきたばかりと思ってた日も既に頭上にあり、いいかげん嫌になってきた藪漕ぎもいま少しではないかと、上部に最後の望みを託しひたすら掻き分けました。そして、私の期待が脆くも崩れたのは約1時間程してからであります。
零時15分。高檜山の頂上までおおよそ30分程の尾根上で、今日はここまでとなり、1時間の後、下山と決った。残念な気持と同時にああ助かったと思う。ここからピークが三つ見え一番奥がそれであろう。そして依然きつい藪漕ぎに見える。私たちは、この足の踏み場もない程の尾根上で、木々を押し分け食事を摂った。北には雲の合間から谷川連峰、山並みが霞み見え、そして、隣接のように上洲武尊山が私の欲求を掻き立てるかのように男性的山溶を表わしていた。
13時20分、尾根直下の沢を下った。いくら小さくてもやはり沢は沢であり、浮き石や、苔岩にからかわれ体ごと下りてしまった。踏跡がはっきりしだすと炭焼きの窯に出くわし、風流加減になっていると木馬道に出た。犬がワンワンと吠え、我々を歓迎しているようにも思えてくる。そして、目の前に近代的白い建物、奈女沢鉱泉である。皆さん温泉に飛び込む。風呂から出た後が今日一日を物語るかのように、山からのみやげ物ばかり。何か温泉の方々に申し分けない気がする。幕は最後に、乾杯によって閉じられた(入浴料200円也。ただしマイクロバス無料)。
〈コースタイム〉
藤原ダム(3:30~6:30) → 造林小屋(9:00) → 高檜山直下(12:15~13:20) → 木馬道(14:45) → 奈女沢鉱泉(14:53)