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山とパイプと蝶
杉野 真二

 山に行き木の根っこに腰を下ろしパイプをくわえて蝶の飛んで来るのを待つ。
 およそ世の中ののんびりした典型みたいなもので、それでとうとうこんな間延びした顔になったのでしょうか。
 極楽トンボの渾名もこの辺から出てきたのでしょう。
 何年かこのようなことをしていると何か都会の急激なテンポから次第にずれてしまっているような気がします。
 でも私の友人にも二人、山とパイプと蝶を愛する人がおります。
 やっぱりその二人共、どことなく一般の人よりどこか変わってるみたいです。
 その二人についてはさておき、私は山についての感想それは、山は楽しめればそれでいいと思っています。厳しい苦しさや恐怖も楽しめる範囲であれば良いと自分に対して決めつけてしまっているようです。
 山に行くと空気が冷たく澄んでいてパイプタバコがとてもクールな感じでおいしいのですよ、例えば美味しい水で沸かしたコーヒーに独自の旨さが醸し出されるように、パイプタバコは気温の低い季節がおいしいと思います。
 セーターを着ている季節、柿の旨い季節、そんな頃パイプはとてもうまいものです。
 夏の都会では煙も熱くてあまりうまいとは言えません。
 ですから山の山頂でのむパイプタバコはとりわけおいしいと言えますョ、あのまろやかな香りの中にピシっとくる舌への刺激はとても気持ちを鎮めてくれます。頂上でボサーッと煙をふかしていると飛躍力の弱い小さなシジミチョウが上昇気流に乗って飛んできます。
 また尾根筋の石ころの影には強い風に飛ばされないようにヒカゲチョウが這いつくばっています。また、山の中腹の谷間では7月の下旬、うまくすると素晴らしい光景にぶつかることがある、それはエメラルドグリーンのピカピカ光る羽を持った小さなシジミ蝶がクヌギやナラの梢を乱舞するのですが、それはゼフィルス(そよ風という意)と総称される一連のミドリシジミ蝶なのです。
 それは谷間に朝靄の消えかかる頃始まり、朝露がすっかり乾いてしまう頃に終わります。とても劇的で一度は誰にも見せてあげたくなります。
 毎年その頃になるとそこへ出掛け、そして毎年ちゃんとゼフィルスたちが可憐な羽ばたきを見せてくれます。
 写真を撮ってもその生々とした感じはまるで出てこないので今年もそこへ出掛けるつもりです。
 ところで山とパイプと蝶について思うことですが、女性の方はあまりこれらにとことんまでのめり込んでしまうには、ちょっと私自身では心配になります。というのは女性が冬山で氷漬けになるのは如何にも勿体無い気がしますし、また女性がパイプを少しくらい喫うのは良いと思うのですが、いつも鼻からプカプカと煙を出して鼻の穴がニコチン・タールで真っ黒だと思うとぞっとします。
 蝶にしても採集したでっかいアゲハチョウを平気でブチコロスような女性は何となく怖くなってきます....、と思いつつ結婚したのがウチのカミさんで、この女性はどうかと言えば山の頂上まで車で乗りつけないと気が済まず、ヒトのパイプを棚から取り出すや否やまだタバコを詰めないうちからサアーと換気扇の紐に手が伸び、お風呂の中に小さな虫が浮いていただけで隣りのトイレの僕が気絶しそうなほどの悲鳴をあげます。
 なかなか人生自分の思うままにならないものです。それはそうと先程の話は女性に失礼であろうし、事実一方では立派な女流登山家もいらっしゃることでもあるし、また女性ばかりのパイプクラブもあるそうで、またトーチャンと一緒にわざわざニューギニアへトリバネチョウを採りに出掛ける蝶好きの御婦人もおいでになる。特に私がわざわざ心配することなんかちっともないのですが、でも大まかに言って全体、子宮をお持ちになる御仁にはこれらが特に向いていることでもなさそう(独断)でありますし、また我が愛すべき大和撫子の方々にはとことんまみれてもらいたくないのが本音です。
 最後に私の将来の夢なのでありますが、山ではヨーロッパアルプスに登りたいし、パイプではダンヒルの年間パイプ(つまり365本セット)をキャビネットごと欲しいし、蝶ではニューギニアのトリバネチョウ全種を手に入れたいということでしょうか。
 でもこれらの前にはなかなか難しい問題があります。先ずヨーロッパアルプスは八ヶ岳なら行者小屋でへこたれてしまう私にとってどれも高すぎるようです。
 しかし、それはケーブルカーで登れるような所を選ぶことにします。また、ダンヒルの年間パイプは高過ぎるので値段が判らずお金を貯める目標がわかりません。ですからウィークリーパイプ(7本セット)にして後は年間日替わりシガレットにします。それからまた、トリバネチョウ全種を集めると言ってもその中の稀種中の稀種プリアムスアロティというのは確かこの広い世界中で標本としてはたった3頭(蝶は虫屋たちの間では匹と言わず頭で数える)しかいないと言うことで、一頭はどこかの標本箱に収まっているというくらいのシロモノなのです。
 これでは先ず私のひもじいコレクションの中に入ることは無理です。たまたま私の持っている貴重な図鑑の中に実物大のカラー写真がありますのでこれを切り抜いて標本箱に虫ピンで止めておくのはグッド・アイデアだと思っております。ただこの場合、この蝶の裏側にはアルファベットがいっぱい並んだ模様になります。
 それにしてもこれらの夢はある程度不完全にしろ達成するには相当の金とヒマのかかることばかりで、人生のあと半分でこれの一つでも達成できるかおぼつかないことです。でももし、急にこの三つの願いが偶然にも叶えられてしまったら、あと何をして生きていったらよいかわからなくなってしまうでしょう。ですから少なからず体力とお金とヒマのない自分に期待し感謝しているのです。


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