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魔の小同心クラックルート
片岡 幸彦

山行日 1983年1月16日
メンバー (L)植村、安田、片岡

 その日の夜は手を伸ばせばすぐつかむことのできるほど、空には星が散りばめられていた。彼女と二人ならば「あそこに一段と輝く星をペンダントにして君にプレゼントしよう」なんてことを言えばカッコイイだろうなあと考えていると、横で麻生さんが天幕の張り綱に足をとられて、ドスッとにぶい音を立てて倒れ、それまで夢の世界に浸っていた私は急に我に返る。麻生さんが「ウフフ」なんて笑いながら暗い樹林帯の中へ消えて行く。その樹林帯の上に突き上げた黒々と不気味な二つの悪魔のような岩、あれがいよいよ明日挑戦する八ヶ岳の闇の帝王、大同心と小同心だ。明日のルートは小同心クラックルート。そこだけは雪の付いていない妙に嫌らしいクラックが此処からでもハッキリと見える。息づいているようだ。「明日、僕たちの挑戦を受けるというのに、やけに落ち着いてやがる」そう思うと、ムラムラと登攀意欲が頭を持ち上げてくる。その気持ちを窮屈なシュラフの中に押し込み床につく。
 1月16日、5時起床なぜか自分だけが寒い朝を迎える。外は若干の星の移動はあるものの、同じような星が空に散らばり、今日の好天を約束してくれているようだ。昨日雪の中から掘り出した机の引き出しをテーブルにし、それを囲んで何の変哲もない朝食をとる。小同心隊は植村、安田、片岡の三人で、後片付けをジョウゴ沢隊に任せて、予定の7時25分に出発する。
 遅れを取り戻すためピッチが上がる。昨日の大同心稜よりも傾斜が緩いので楽に高度が稼げる。時折り松の枝を揺さぶり、上から粉雪の手荒い歓迎を受ける。
 息を切らせながら高度を稼いでいくと、左方に硫黄岳と横岳の稜線に割って入るように雪を被った大同心、小同心親子が紺碧の空を従えて仁王立ち。右方にはおおらかな山容を見せた阿弥陀岳。まさしく生と死の端境などと、ぶつぶつ言いながら歩いていると、まるであの霜柱のごとく見える雪を被った樹林帯が眼下に広がる稜線に出る。小同心取付き直下の岩稜帯も難なく越え、小同心の岩場が頭上高く広がる取付点に到着。此処で三人パーティが取付いていたので大休止。その間に交信を終え、9時10分登攀開始。
 トップの植村さん、セカンドの安田さんは1ピッチ目を難なくこなし、岩陰に消えてゆく、「冬の岩壁登攀は風が吹いたり、雪が降ったりすると全く登攀意欲が削がれる」とよく言われるが、今日のこんな天気の良い日でさえ待っている間、手の先はいうことをきかなくなる、足先は感覚がなくなるし、ほんとにやる気がなくなってきた。そこへ「ビレイ解除!!」の声。その場で少々足踏みをし、体を温め岩に取付く。
 10mほどのフェイスからクラックに入る、なにぶんにもゲレンデでさえホールドの取り方、特にスタンスの取り方が不安定な上、アイゼンなるものを着けとるので自分を乗せている岩がいまいち信用できず、ほとんど感覚のなくなった手を岩に押さえつけて、肘や膝までも総動員させて登り始める。クラックに入ると周りの景色が見えないので高度感もなく安心して登れるが、クラックを抜けてトラバースするところで肩越しに見える大同心がこちらを見てニカッと笑ったような気がしたので、ナヌッと思い不注意にもそちらの方を向いてしまう。とたんスパッと切れ落ちた岩壁、大同心ルンゼの奥の奥にある木の一本一本までが目に飛び込んでくる。クラックを抜けて、ハァハァ息を切らしてようやく1ピッチ目を越える。2ピッチ目もホールドの大きいクラック。テラスから右へ高度感のあるトラバースを登り始める。ここは高度を上げるにつれてクラックが広がってくるので広げた足の間から恐いもの見たさで見てみる。ここもテラスの直下で軽くトラバース。またもや左肩越しに大同心がオレを誘惑する。ここで一息ついて、一気に登りつめる。
 植村さんが上で確保しながら「どうだったか、しょっぱかったか」と気持ちの悪い笑顔で迎えてくれ、本日の核心部を終了する。ここでザイルをしまったり、次のルートを聞いたりしている時、いままで凍っていた手と足の先が融けてきたのか、抑えようのない痛さが襲ってくる。まるで向うずねをたたかれたような、あの我慢できない痛さである。横で安田さんも私と同じように顔をしかめて耐えている様子がよくわかる。
 横岳へは両側が切れ落ちた稜線を通って行くのであるが、途中に石のトンネル状のものがあり、なぜか私にはこれがこの厳しい小同心を登り切った者だけが胸を張って通れる石門のように見えた。頂上直下の岩稜も難なく越え、横岳頂上へ。今までの緊張がとれたのか思わず大きな声で笑いが出てしまった。前方の阿弥陀岳も微笑みかけてくれているようだ。大同心ルンゼから大同心稜へと帰路につく。かくして私の二度目の本番登攀は無事に終了したのであった。


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