山行日 1984年5月26日~27日
メンバー (L)赤松、植村、安田、吉岡、佐藤(朋)、小泉
谷川岳一ノ倉沢の登攀を、昭和59年5月26日~27日の両日に、信じられないような好天の下で行った。昨年度10本の谷川岳の登攀を行ったが、こんな好天に恵まれたことはなかった。今年は雪が多いため一ノ倉沢出合まで車で行けず、25日の夜は指導センターで仮眠の後、26日の朝7時頃に出発。約1時間で出合に着き、テントを駐車場に張り、赤松・小泉パーティと植村・安田・佐藤(朋)パーティで、それぞれ烏帽子沢奥壁中央カンテルートと同変形チムニールートを登攀した。アプローチのテールリッジから見る、衝立岩や滝沢スラブやドーム壁は、いやが上にも登攀意欲をかきたててくれる。
午前10時頃より両パーティ登攀開始。中央カンテ組は、1ピッチ目を赤松が、2ピッチ目を小泉がリードし、いよいよルート中で最もダイナミックな登攀ができるカンテ部分を赤松がリードする。その後もつるべで登る。IV級のチムニーを過ぎ6ピッチ目を小泉がリードし、核心部のV+級垂壁とそれに続くV級の凹角を赤松がリードし、ルート中最も大きなテラスである四畳半テラスで小泉を確保するが途中1回ザイルにショックがかかる。しかし何とかフォローしてきた。このピッチは初めての本番としてはシビアだったようだ。後のピッチは問題になる所もなく、午後3時頃登攀を終える。
変形チムニー組は、1~4ピッチまでを植村がリードし、中央カンテに合流してからは安田、佐藤がリードしたが三人だったので時間がかかり夜も遅くなってから、凹状岩壁からコップ状岩壁左岩壁ルートを継続してきた白稜会の片岡、山本パーティと一緒に下降してきた。変形チムニールートはその名の由来となっているチムニーの登攀が楽しめる。上部は中央カンテと合流している。どちらのルートも一ノ倉沢では大変な人気がある。
5月27日は、植村・赤松で烏帽子沢奥壁ダイレクトルートを、安田・佐藤で同凹状岩壁ルートを、吉岡・小泉で南稜を登攀した。ダイレクトルート組は、白稜会の片岡・渡辺パーティに次いで2番目に取り付いた。1ピッチ目を植村がリードするが、最初の5mが難しい。2ピッチ目を赤松がリードする、このピッチは左上する草付ルンゼ状で右にトラバースしてビレー点へ着く。3ピッチ目が核心部のフェースでV+級のピッチである。ここは植村がリードする。ホールドが細かく、スタンスは外傾し非常にデリケートなバランスがいる。4ピッチ目は三寸バンドを右へトラバースし、変形チムニー上のビレー点まで易しい。5ピッチ目はフリーと人工のピッチで少し難しいが、快適である。6ピッチ目は凹角からチムニーへと続くフリーのピッチでここも快適。7ピッチ目は、凹角から少し脆いフェースで易しいが注意がいる。これより上部は非常に脆く、不快なので南稜側にエスケープして終了する。
凹状組は安田リードで取り付き、佐藤がフォローする。核心部の凹角は見た目は垂直に思えるが細かいながらもしっかりしたホールド、スタンスがあり、快適な登攀ができる。上部は若干ルートファインディングが難しいが、技術的に問題となるような所はない。しかし中央カンテからの落石をもろに受けるので、その点において注意が必要である。凹状組は下降を中央稜に取ったためにかなり苦労したようだ、この事は大いに反省すべきである。本番の登攀の時はアプローチ、登攀、下降のどの一つも侮ってはいけないのである。南稜組は1ピッチ目を吉岡が、2ピッチ目を小泉がリードし、その後もつるべで登る。このルートは一ノ倉沢の入門ルートで、快適で楽しい登攀ができるが、他のルート登攀後の下降路となっているので、混雑している時は落石などに注意すべきである。
今回の例会は好天に恵まれ、三ッ峠でのトレーニングが実を結び、一応は成功したと思う。しかし、本番ルートはどこに落し穴があるかわからないので、今後もより気を引き締めて取組む姿勢が大切であると思う。そしてその事がより困難な、そしてすばらしい登攀につながるのだから。