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甲斐駒・黄蓮谷左俣
佐藤 明

山行日 1985年1月13日~15日
メンバー (L)佐藤(明)、高橋(弘)、金子

 「冬の黄蓮谷」、これが自分の目標となった時、私は三峰の門を叩いた。それから5年、アイスクライミングの技術、用具の進歩は目ざましく、今や黄蓮谷なぞゲレンデの仕上げと考えられるほど、その難易度は低下した。しかしこの谷の厳しさは変っていない、氷のスラブの続く美しさも、また私が抱いていたものと寸分の違いもなかった。そして今後も変ってはならないものである。
 1月13日
 横手駒ヶ岳神社より黒戸尾根に取り付く。このところ2~3週間全く雪が降っていないと横手の食堂のオバサンは言っていたが、笹ノ平あたりから一面雪となる。入山が1日遅れのためトレースもしっかりあり快適。
 五合目の小屋は冬期開放であったが、少し満員ぎみなため下のオンボロ屏風小屋の中に天幕を張る。夜半過ぎより強風となり、その音と明日への不安でなかなか眠れない。
 1月14日
 あまり早く起きたため時間が余り、出発前に皆でうたた寝。薄明りの中を出発するが、先行パーティのトレースに導かれ、夏よりも早く五丈岩小屋に降り立つ。積雪15センチ。前夜ここに泊ったパーティの足跡が下流に向って付いているところを見ると、尾白川本谷の西坊主の沢へでも入っているのだろうか。実際、黄蓮谷のシーズンは、今頃1月中旬がリミットであり、これ以後は雪崩の危険の少ない坊主岩周辺や刃渡沢が快適となる。
 黄蓮谷に入り15分も歩くとさっそく坊主の滝である。ここまでの河原歩きは、薄氷を破らぬよう注意が必要だ。坊主の滝50mは結氷が悪く少し湿った感じだが、傾斜はゆるい。50度~60度。先行パーティに続き、中央ダブルアックスでザイルを伸ばす。そして1段目25mの雪田でピトンを打とうとするが、フレーク状で中が空洞となった氷のため、全く支持力を得ない。しかたなく更に15m登り、落口上部の雪田内で1ピッチ目、スタンディングアックスビレイとなる。2ピッチ目は緩傾斜を25m登り終了となった。次の15m滝は左より、そして左俣出合の滝50mは中央部を快適に登りF2チムニー滝である。氷がつけばまあ凹状といったところか。
 ここまで来ると風当たりも強く、氷も非常に硬い。そのため私の1400円の安物ピトンはもう全く氷に食いついてくれないのだ。更にくやしいことに(金)持ちK氏持参のシュイナード製パイプスクリュー5000円也は、手で回しただけでドンドン入っているときている。アイスクライミング程装備の差、つまり経済力の差の出るスポーツは他にないと信じるようになった所以である。
 さすがに寒く「今晩のビバークは足の指2本だな」などという冗談も、なぜか真剣みを帯びてくる。実際この頃までは、ビバークになりかねないと全員感じていた。更に登りF3 50mのナメ。氷が硬いためアイゼンが滑り恐ろしい。七丈ルンゼ出合上の2段40m滝は、技術的にはそれ程でもないが、万一滑落したら150mは流されそうなのでザイルを出す。
 そして核心部50mの滝。傾斜が強く途中で段にもなっていないため、最低2時間はかかろうと思える。ノービバークでこの谷を登りきるには時間不足ということになり、右の急なルンゼより高巻く。続く最後のF6も氷が薄いため高巻き。これで滝場は全て終了し、第2の核心部とも言えるツメとなる。しかしながら雪崩の兆候は全くなく、バテバテで八合目岩小屋の50m上に飛び出す。ずっと太モモ位のラッセルというのは少ないほうなのかも知れない。この後、岩小屋で一本とり、無事の登高を喜び合う。

〈コースタイム〉
1月13日 横手バス停(8:05) → 神社(8:30~8:50) → 笹平(11:40) → 五合目(14:20)
1月14日 出発(6:40) → 五丈岩小屋(7:15) → 坊主の滝(8:00~8:55) → 左俣F1上(部9:24) → F2上部(10:36) → F6基部(12:30) → 三又尾根(13:30) → 黒戸尾根(14:20) → 五合目(15:35)
1月15日 五合目(8:15) → 横手神社(10:50)
黄蓮谷左俣ルート図

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