山行日 1987年6月20日~21日
メンバー (L)今村、竹内、高橋(清)、岩崎
ルームの時、和名倉に行く時は雨だよなんて笑っていたら、本当に雨になってしまった。それも朝からドシャ降り。それでも12名の三峰の勇士たちは、それぞれ3パーティに別れて和名倉沢を遡行していった。
釣り師がいた、やや遠慮ぎみに歩いて姿が見えなくなった所で、ジャバジャバと入る「今日は釣れねえよ」と思わず言ってしまった。沢の様子は悪い所もなく、滝の下はたいてい釜になっていて、滝自体を直登することはあまり出来ない。釣り師がかなり入っているとみえて、ゴミだらけ。これはちょっとヒドイと思われる所がたくさんある。
和名倉沢は長い沢なんだけども、遡行図では此処かなと思ったりする所がたくさんある。氷谷の出合と思わせる様な所もあるし、大きな滝が多く「たぶんこれじゃないか」と首をかしげながら沢をつめて行った。
大滝は、「ほほう」と言わせる大きな滝である。40メートルの高さから、たたきつける水の勢いは、滝の下にいる我々を震えあがらせる。大滝の高捲きまでは、我が今村パーティの後に大久保パーティがいたのだが、高捲き終了後の一本で、大久保パーティと合流するであろうと待っていたのだが、いつまでも合流することがなかった。
大滝を越えると、船小屋窪と出合う。大きな滝を持った出合いだ。その後の和名倉沢は平坦な地形となり、ナメの連続となる。私も少々バテぎみで、メンバーの足どりもバラつきぎみであった。この様子では本日中の稜線突破は無理ということが濃厚になってきた。すると、前方に「モートー」コールが発した。「金子パーティーかな!」と、合流に調子も少々あがりぎみになったが、なんと、合流したそのパーティは、大久保パーティだったのである。大久保パーティも驚いていたが、我々も、どこでどう追い抜かれたのかわからなかった。
ビバークは確定的な時間、16時近くなっていた。沢すじに適地はなく、私は少々焦っていたが、皆ビバークに入りたかったに違いないと思う。ようやく適当な場所を見つけたときは嬉しかった。大久保パーティも同じくビバークに入ることになった。
雨は朝からずっと降り続いていて、ツェルトを張っても降っていた。ツェルトの底にはすぐ雨がたまり、プールのようになってしまう。身体は冷えきり、バーナーをつけて、ようやく暖をとることが出来た。食事をとって一杯やり、安心して眠りについたが、夜中に目が覚めて、それっきりで深い眠りにつくことが出来なかった。身体中に震えが来る。
翌日は晴れた。これで、濡れた物も多少は乾くであろうと安心する。ビバーク地点から稜線へは1時間30分かかった。沢をつめヤブをこぎパッと開けた草原に出た時は、これが快感というものである。
和名倉山のピークは、ヤブの中にあるということでわからなかった。草原をピークということにして写真を撮った。下降は曲沢下降の予定であったが、尾根下降の意見が多く、「ヒルメシ尾根」の下降となった。
一般ルートではないということであったが、はっきりとした踏み跡があり歩きやすい。和名倉山に着いた時から曇っていたのだが、尾根を歩いていたら雨が降ってきた。樹林帯の中なので、あまり雨に当たることはないのだが、少しずつ雨が強くなってきているように思えた。
雨の中、川又に到着。沢の下降にしなくてよかったと思ったしだいである。
6月20日 | 三峰口よりタクシー和名倉沢出合入口(7:50~8:00) → 出合(8:10~8:20) → 石津窪出合(9:10~9:20) → 休憩(10:20~10:30) → 大滝上(12:05~12:20) → ビバーク地点着(15:50) |
6月21日 | ビバーク地出発(6:30) → 稜線(7:55) → 和名倉山(8:00~8:50) → 川又(13:00) → 三峰口着(14:50) |
交通費
池袋→秩父間 600円
お花畑→三峰口 300円
三峰口→和名倉沢出合タクシー 3510円
川又→二瀬 240円
二瀬→三峰口 360円